悪戦苦闘の道路
 メインの幹線道路を西へ進と、否応なくカザフ
スタンへ入国する事になる。それで私はオムスク
から無難なチュメニ、エカテリンブルグのコース
を選んでいた。エカテリンブルグからチャリビン
スクへ降れば良かったが、そのままウラル山脈
を越えた。ペルミを過ぎてイクラという村から選ん
だコース上に、更に悪戦苦闘の難路が待ってい
た。しばらく走ると泥道になった。
そして夕刻、工事中の泥道にさしかかった。
帰り支度をしていた現場の作業員に何処を通っ
たら良いのか聞くと、何処でも好きなところをと
指さした。どの場所もオイルパンが支えるほど
のぬかるみで、この先人気のない山の中で、
生きて帰れる心地がしなかったが、気合いを入
れて先へ進んだ。土は赤土に近く滑りやすく、
車のわだちが深く、直ぐにハンドルを取られて
転倒しそうになる。
この写真は、滑るが楽な方の道だ。本当に悪い
道では写真など写す余裕もない。歩く事も出来
ないほどのぬかるみだからだ。
やっと動いた渡し船
 泥んこ道はウラル山脈の下り道で、滑って転
んで、今更150kmも引き返すことは不可能だ。
雨が降りそうなので、途中の村の小さなバス停
で夜を明かすことにした。
しかし蚊がすごくて眠れず、夜中の午前2:30に
ここを出発した。ぬかるみで何度も転倒しそうに
なりながら、やっとたどり着いた道路は大きな河
の中へと消えているではないか。次から次の難路
に泣きたくなってきた。
よく見ると、ここは渡船場なのだ。
ここに着いたのは午前5:00。先に2台の車が来
ていた。午前7:00には下流から渡し船が対岸へ
来たけど、なかなか渡船が始まらない。
待っている車は20台位に増えた。
しばらく待った。情報では水位が低いのでスクリュ
ーが川底に当たるため、水位が上がるのを待って
いると言う。
待っている車は次第にあきらめて引き返し始めた。
情報をくれた一人のウクライナ人が英語を話せ、
私に携帯の朝食と昼食をご馳走しくれた。私は彼
からの情報が頼りだった。
しかし彼も午後3:00には引き返して行った。
私は更に不安になった。もうぬかるみの登り道を
150kmも引き返す体力はない。忍耐強く待った。
水位は一向に上がっていないが、4時を過ぎて
やっと対岸の船が動き出した。とても嬉しかった。
そして向こう岸に着いたのが、12時間後の午後
5:00だった。やっぱりここは異国”ロシア”だ。
歓 迎” ライブ
 船の中で知り合ったロシアの音楽グループ
が、岸に上がったら10分だけ待ってくれと言っ
て、先に岸に上がった彼らは楽器をバスから
降ろして、後から岸に上がった私を待っていて
くれた。
彼らはこの先のカザンという街のロシア音楽
のグループで、私のために歓迎のライブをし
てくれた。10名くらいのとても陽気なグルー
プで、バスの運転手も横で待っていた。
初めての人達にこんなに歓迎してもらい、私
はとても嬉しかった。彼ら一人一人の名前を
聞いて握手を交わし、私は別れた。
モスクワ 6月27日午前7:30 到着    
 ニージニーノブゴロドを26日の午後2:00に
通過して、M7を通って午後9:00、モスクワの
手前140kmの林でキャンプを張った。
翌早朝テントをたたんで出発。クレムリンに着
いたのは27日の朝午前7:30。日本を出発し
て丁度一ヶ月でモスクワに着いたことになる。
クレムリンの周辺は道路もきれいだ。
朝なので観光客も皆無で、写真も写せた。
赤の広場では、周囲をパトロールしている私服
警官にバイクを止めているのを何度か注意さ
れながらも、写真を撮った。ここで故意に国際
ナンバーから大分ナンバーへ交換して、更に
写真を撮った。左の写真は赤の広場の下の
駐車場で取ったもの。
ここまでの総移動距離は10,972kmになる。
この後、私は日本大使館へ行った。