ИPKYTCK (イルクーツク)の標識
 貨物列車は予定のCita駅より300km手前の駅
Carnysevskで停車した。この時午後1時丁度。
私達は4時間ほど待たされて車両を降ろす事が
出来た。ここまでの列車移動は実に1,000km
に及び、丸二日間かかった事になる。
ここからCitaまで300km、内100kmは砂利道で
埃だらけになりながら走った。
Citaに着いたのは翌日6月12日で、自宅を出発
して4,142kmの移動になる。ここのホテルに入
り、実に一週間ぶりの風呂に入る。
家族に一週間ぶりのメールを送ったら、サッカー
で日本がロシアに勝った時期で、家族は大変心
配をしていた様子であった。
この写真の標識は、「イルクーツク」まで1069km
を表す標識だ。日本ではこんな長い距離の標識は
ないだろう。
九州から静岡付近に相当する距離になる。          
ウラン ウデの街  7月14日
 チタの街でエンジンオイルを探して買ってきた。
オイル交換はガソリンスタンドでは一切やってくれ
ない。チタを出て道路脇でオイルを換えた。
その日は赤松林でキャンプを張りった。
シベリアでの毎夜のキャンプは心細い。
全く人気のない山中や林の中にテントを張る事に
なるが、シュラフに潜って耳を澄ますと、毎夜のように
高い木の上から「カッコー、カッコー」の鳴き声だけが
聞こえてくる。広い広いシベリアの北の大地の中で
孤独感を感じる瞬間だ。
翌日ウラン・ウデの街に着いた。駅前で写真を撮ろう
としたら、人が集まってきた。ここはモンゴル系の住民
が多く、東洋人の顔をしている。
集まってきた人たちも皆モンゴル人の顔だった。
日本人と違ってオープンで、直ぐに話しかけてきて親し
みやすい。
海のようなバイカル湖
 淡水湖では世界最大で、最深の湖がこのバイ
カル湖で、琵琶湖の50倍の広さだそうだ。
私は湖の畔までおりて、手を洗ってみた。そし
て居合わせた3人の子供達と写真を撮った。
シベリア地方のガソリンは普通で最高95オクタ
ン、田舎では92オクタンしか販売していない。
その為、92を入れると、ハイオクタン仕様のR50
はたちまち力が落ちて、上り坂でノッキングを起
こす。あらかじめタイミングを遅くしていたが、上
り坂ではエンジンの音に注意しながら走った。
バイカル湖の付近は坂が多く、湖の反対側の
高い山にはまだ残雪が残っていた。


 写真は私が泊まったホテル前の路上。
大都市イルクーツク  6月14日到着
 バイカル湖が過ぎると、間もなくイルクーツク
の街に着く。
地図でホテルを探し、小さなホテルに入った。
別のホテルの前で、自転車に荷物を積んだ女性
がいた。 英語で話しかけるとドイツ人だった。
ドイツから自転車でここまで来て、これからモン
ゴルへ入り、中国に行くと言う。彼女は安いホテ
ルを探しながら、再び私のホテルで合った。
ロシアは超大国と言いながらも、シベリアには
乞食が多い。私のホテルの前でゴミ箱をあさっ
ていた人が居たので、私は部屋に入って残り物
の菓子パンを手に取り、彼を追いかけて手渡した。
彼は私に「スパシーバ、マイフレンド!!」と英語を
交えて、真っ黒の手で握手を求めてきた。私は
「マイフレンド」と言ってくれたのが嬉しくて、彼の
手を強く握り替えしてやった。